国光あやの
プロフィール

国光あやのについて

【生年月日】

昭和54年3月20日 ひつじ年

山口県大島郡久賀町

(現周防大島町)生まれ

先祖代々みかん農家で、

農業と美しい自然が大好き。

(写真:祖母とミカン収穫)

健康長寿の島として有名で、母親は薬剤師でもあり、幼い頃から健康や医療に関心を持っていました。
父が転勤族のサラリーマンだったので、幼少期は、転勤が多い生活でした。新しい環境でチャレンジする力は付いたかも?

略歴

  • 平成9年

  • 広島県立広島観音高校卒業。 小さな体で投げ技を見事に決めるヤワラちゃんに憧れ、柔道部に入り、柔道に熱中! 朝から晩まで稽古に明け暮れた日々でした。(特技は、体落としと袈裟固め) 「心技体」など柔道の教えは、今も国光あやのの精神的支柱となっています! 勉強はあまり・・でしたが、親しい友人の病気をきっかけに、医療の大切さを改めて感じ、医師になろうと志を立て、 猛勉強を始めました。

  • 平成15年

  • 長崎大学医学部卒業。 熱帯地域の医学研究で有名な先生が多くおられたことから、発展途上国などの保健医療に関心を持ち、学生サークルの代表となり、 現地活動に熱中!アフリカ、東南アジア、南米など50カ国を訪問し、マラリア、エイズ、検診、公衆衛生などの研究活動をお手伝いしていました。 好きが高じて、バックパッカーとして一人旅も。今でも現地の母国語が話せたり、どこでも寝られたりなどの特技が・・。 現地で活動する中で、病気の背景にある貧困や教育など社会問題に問題意識を抱くようになり、「大医は国を癒やす」との言葉を教えられ、 将来は、病気の治療だけでなく、病気を生み出す仕組みを治癒するような仕事に携わりたいと思うようになりました。

  • 平成15年〜16年

  • 病院で勤務医(国立病院機構災害医療センター、東京医療センターなど。 地元土浦の霞ヶ浦医療センターで当直も) 内科、救急医療、在宅医療・・新人医師として、休む間もなく多忙な日々(病院から1月でなかった日も)でしたが、 出産から看取りまで、幅広く経験し、地域医療の重要性を実感。その患者さんを中心に、 地域で様々な医療介護サービスを構築していく地域包括ケアの構築に関わりたいと、国で政策づくりに携わりたいと考えるようになりました。

  • 平成17年

  • 厚生労働省老健局老人保健課 主査。医療介護政策に携わりたいと、厚生労働省の門を叩き、医系技官(医師出身の技官)として働き始めました。 感染症対策(新型インフルエンザ対策など)、診療報酬、介護報酬改定、災害対策(東日本大震災など)、病院管理(国立病院機構霞ヶ浦医療センタ一など)、 医師確保対策、がん検診など、様々な政策に従事し、予算、法案などを通して制度づくりを行いました。

  • 平成20年

  • 米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公衆衛生大学院 修士課程 修了。 厚労省勤務の間、米国留学の機会を得て、感染症、がん、医療経済学、統計学などの公衆衛生を学びました。 ちょうど米国大統領選挙でオバマ大統領が誕生!米国政治のダイナミズムを肌で感じました。 さらに、新婚で渡米していたのですが、長男を出産。米国の医療を患者として体験し、大学院での学問とともに、大変勉強になりました。(米国と比較しての日本の強みや弱みも・・)

  • 平成22年

  • 東京医科歯科大学大学院 博士課程 修了。 公衆衛生を極めるべく、帰国後、日中の厚労省勤務と並行して、夜間に大学院で研究。 学生時代、留学を通して得た知見から、発展途上国の保健医療、感染症サーベイランスをテーマに、博士論文を書き、 博士号を頂きました。(これらの経験は、その後の新型インフルエンザ、新型コロナウイルス対策などで、とても役立ちました)

  • 平成29年

  • 厚労省を退職(保険局医療課課長補佐)。 厚労省の仕事は、厳しくもやりがいを感じていましたが、制度改正などを幾つも経験する中、「将来にわたり、持続可能な医療、社会保障制度を作りたい」との問題意識が強くなり、 徐々に国政への関心が芽生えてきました。 そのような時・・、自民党本部から、丹羽雄哉元厚生大臣(茨城6区)の後継の話があり、日夜考えた末に、尽くすことができるなら本望と決断し、応募しました。

  • 平成29年 10月

  • 第48回衆議院総選挙、茨城第6選挙区で初当選! 突然の解散。全てが初めての経験で、厳しい選挙戦でしたが、たくさんの方に応援頂き、何とか当選を果たすことができました! 地元、国のために、誠心誠意尽くそうと、日々全力で活動中! 地元つくばから国会に毎日通勤中! 厚生労働委員会委員、法務委員会委員、決算特別委員会委員。

  • 平成30年

  • 自民党イノベーション特別委員会医療イノベーション小委員会事務局長。 青年局次長、女性局次長。

  • 令和元年

  • 広自民党国土交通副部会長。

  • 令和2年

  • 自民党農水部会副部会長。 自民党新型コロナウイルス対策本部コンティンジェンシープロジェクトチーム 事務局次長。 自民党デジタル社会推進特命委員会ネット上の誹謗中傷プロジェクトチーム 事務局長。

【家族構成】 夫、長男

【特技】 柔道、剣道、健康相談

【資格】 医師、公衆衛生学修士、医学博士

【信条】 至誠、敬天愛人

【好きな食べ物】 そば、納豆、梨

柔道と私
〜武道の教えと政治への志〜

私は、子どもの頃から武道に憧れており、学生時代は剣道、柔道に熱中していました。 特に、柔道は、オリンピックで活躍していた田村亮子選手や野村忠宏選手が、小さな身体で大きな選手を相手に一本背負いを決めている光景は、まさに『柔よく剛を制す』で、憧れが動機で始めました。 稽古は、受け身、脇締め、立ち技、寝技、乱取りなど、夏は汗だく、冬は寒さに震える日々でしたが、来る日も来る日も明け暮れたお蔭で、集中力や忍耐力が随分と鍛えられたと思います。師匠は、厳しい稽古で知られた方で、礼儀作法を重んじご指導くださったことが、とても勉強になりました。私の得意技は、「体落とし」と「背負い投げ」で、稽古に稽古を重ね、自分より大きな相手に技が決まった時は、まさに感無量でした。その一方で、敗れた時の悔しさも強かったですが、柔道仲間との励まし合い、稽古を積み重ねました。 高校三年生の時、柔道の稽古の最中に、友人が大怪我をし、長期に亘って療養生活を余儀なくされたこともありました。私は、柔道に熱中するあまり、進路を決めかねていましたが、その友人から励まされ、「医師になろう」と一念発起しました。柔道で培った『心技体(しん・ぎ・たい)』つまり精神力、技術力、体力を、今度は勉強に活かすよう、必死になって机に向かい、なんとか奇跡的に医学部に進学が決まった時、その友人と抱き合って喜んだことは、今でも忘れられません。 そしてこの度、政治の道を志すにあたり、柔道の師匠に報告申し上げました。師匠はじっと話を聞き、仰いました。「武道の教えで『守破離(しゅ・は・り)』がある。まず、伝統の型を極め、徐々にその型を破り、独自の新たな型を生み出すということだ。君は、医療現場、政策の道で働いてきたが、新たに政治の道を志すことは、まさにその機が熟したということで、その道が君の使命ではないか。」その先生のお言葉に押され、私は政治の道を進む決意を新たにしました。 柔道の精神である『柔よく剛を制す』『心技体』、そして『守破離』は、日々の精神的支柱となっています。この武道で養った精神を常に心に、地域、いばらき、国のために、全力で頑張る決意です。